想い

「もし明日、同じ日常が来ないとしたら、今日の自分にYESって言える?」

人生で、2回。

大きく大きく、後悔したことがあります。

ひとつは、看護師1年目のとき。

もうひとつは、数年前、ライターとして仕事をしているとき。

どちらも「在りたい自分のように、行動できなかった」と感じた出来事でした。

雲ひとつない青空なのに、まるで私の周りだけ色が消えてしまったように、世界がグレーに見えた。

後悔が押し寄せている間は空気を上手に取り込めなくて、息が詰まったような時間でした。

控えめに言って、もう2度と味わいたくない、です。

後悔の経験を経た今、より一層大切にしていること。誠実さ。

誠実さは、自分に対しても相手に対しても、信頼を育みます。

だからわたしは、ささやかなことでも、1日に何回も自分に問いかける。

「もし明日、同じ日常が来ないとしたら、今の自分にYESって言える?」

今この会話が、この人との最後の言葉になるかもしれない。

今のこの選択肢、明日はもう選べないかもしれない。

「決断」って口グセやんね、と言われるくらい大げさで真面目すぎるのはわかってる。

それでも、自分に対しても周りに対しても誠実に過ごせたと思う1日は、呼吸のしやすさ・心地よさを感じられます。

  • 想いと行動の一致
  • 何をするかより「誰」と歩むか

誠実・共感・つながりから生まれる安心感と信頼感。

わたしにとって、何より呼吸がしやすく生きやすい。

そんな世界が、もっと社会全体に広がってほしい。

だからわたしは、どんなにバカ真面目でも自分へ問いかけることを、今日も選んでいます。

「在りたい自分を体現できてる?」
「誰と歩むかを、大切にできてる?」

「想いと行動の一致」ー忘れてはいけない看護師時代の後悔

看護師1年目。

病棟で働いていたわたしは、忘れられない別れを経験しました。

元々、わたしを可愛がってくれていた女性の患者さま。

でもなぜか、ある日を境に、理由もわからず「わたしにだけ」つらく当たるようになったんです。

怖くて、悲しくて、誰にも相談できなくて。

お部屋を訪問する回数は、最低限になっていました。

相手のことを知ろうとする余裕なんてありませんでした。

でも。

いつもと同じように出勤した日勤の朝。

その患者さまのお部屋の扉が開いていて、空っぽのベッドに朝の日差しが降り注いでいました。

…?なんで?

状況は察したけど、飲み込めなかった。

だって、急変のリスクはそこまで高くなかったはず。

でも「もう2度と会えない」というのが現実でした。

その現実に直面したとき、わたしに突き刺さってきた問い。

「最後に話したとき、私は笑顔だった?」
「ちゃんと相手の目を見て、心を向けていた?」

時間が経つと、その患者さまに対して、新しい考えも浮かんでくるようになりました。

気丈に明るく振る舞っていたあの方は「怒りやイライラ」を、わたしにだから出せていたのかも。

病気で、不安で、怖くて。でも、人前で出せなくて。

唯一表現できた相手が、わたしだったとしたら。

もっと、お部屋に行けばよかった。

思いっきり感情を受け止めて、恐怖や悲しさに寄り添えばよかった。

誠実であること、そして共感の心を持つこと。

想いと行動の一致の大切さを、つらすぎる別れから学びました。

「誰と歩むか」ー大切な人を失いかけた後悔

もうひとつ、わたしの軸である「何をするかより誰とするか」について、より深く考えさせられた出来事があります。

看護師を経てライターになっていたわたしは、大切なクライアントさんと出会いました。

その方のビジョンや生き方に共感し「この人が実現したい社会に力を添える」と、情熱を注いでフルコミット。

でも、いかんせん、想いが強すぎた。

優しさや思いやりを大切にしたいのに、いつの間にか相手にも同じ熱量や関心を求めるようになってしまっていて。

とうとう、小さなボタンのかけ違いがきっかけで、人間関係そのものが壊れる危機が訪れました。

誤解されてる。
なんでわかってくれないんだろう。

わたしの時間だけ止まってしまったみたいに身動きできなくなりました。

とぼとぼと信号を歩いて渡った情景を今でも思い出せるし、まだちょっときゅうっとなる。

でも、気付きました。

相手が飲み込んでくれていた言葉。配慮。そして譲れない想い。

相手は「しないこと」でわたしを大切にしてくれていたこと。

なのに、わたしは相手の1番大切にしている想いを、不用意な言葉で傷つけてしまった。

「自分を知ってほしい」
「自分をわかってほしい」

「大切です」って言いながら、行動では「大切にしてよ」って表現してた。

できることといえば、相手にお詫びと想いを伝えること、あとは結論を委ねることだけでした。

待ってる間、ほんとうに、つらかった。自業自得なんですけどね。

そして今。
そのクライアントさんとは、深い信頼関係を持って仕事を続けられています。

情熱を注いでサポートすることが生きがいなわたしにとって、「誰と挑むか」はめちゃくちゃ大事。

だからこそ「相手を大切にする」を体現していくことが、同じくらい重要なんだと再確認。

知ってもらうより、知ろうとすること。
相手だけでなく、相手が守りたい世界も、同じように大切に取り扱うこと。

長く伴走できるつながりは、誠実さと共感が育んでくれます。

なぜ、言葉とデザインなのか

どうして、言葉とデザインの世界を選んだのか?

それは、小さい頃からわたしの真ん中に「言葉」があったから。

本を夢中で読み、毎日ノートにびっしり日記を書き。

高校時代は3年間、尊敬する国語の先生のところに、交換日記のように長文問題を毎日もらいに行って。

(3年間毎日1題解き続け、偏差値はいつの間にか70を超えるほどまでに。継続は力!)

言葉が得意?ライターとして敏腕なの?と言われると、伸び代だらけなのも事実です。

凹むことばっかりです。

でも、一つ言えるのは、苦じゃない。

ずっと生活の真ん中に、置いておけます。

そしてタイポグラフィ。

言葉をデザインするという概念に出会ったとき、直感的に「これだ」と感じました。

わたしが作りたいのは、技術が高いだけのデザインでも、響きのいいだけの言葉でもない。

クライアントの想いや価値が、理想のお客さまにちゃんと届く「伝わる形」です。

だからこそ、わたしは言葉とデザインを丁寧に取り扱い続けたい。

これからも、挑みつづけたい

挑戦の内容が何であれ、わたしが一緒に歩みたいのはビジョンを共にできる人。

長年続けているクライアントさんとの挑戦は、社会貢献がテーマです。

同じ想いを持つ人となら、どこまでだって情熱を注げるし、感動を分かち合える。

わたしにとって、感動は人生で一番大切なエッセンス。

主役じゃなく、サポーターでいたい。
相手のビジョン実現に力を添え、共に挑む仲間でいたい。

だからこそ、短期的な成果より「誰と挑むか」を大切に選んでいます。

心地よく呼吸できる世界を目指して

自分のありたい姿と行動がずれているとき、自分を信頼できなくなって、息苦しさを感じます。

だからこそ、まずはわたし自身が言葉と行動を一致させたい。

誠実で、素直で、正直でいたい。

そして、生活の真ん中にある言葉とデザインを使って、世の中の役に立っていきたい。

安心感と信頼をベースにした関係が増えれば、きっと世界はもっと呼吸しやすい場所になる。

迷ったときは、素直で正直な選択をする。
相手を知ろうとする好奇心を持つ。
ビジョンを共にできる人と進む。

わたしはこれからも「在りたい自分」を体現し続けます。